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<21世紀を平和の世紀に!>掲示板
テロと報復     資料集(17)
9.11以後のU.S.A
{noforce:325} どすのメッキー 20011220
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> (創刊:2001年8月18日)
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> ★メディアの危機を訴える市民ネットワーク┃メ┃キ┃キ┃・┃ネ┃ッ┃ト┃
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>                         メール・ニュース vol.4(2) 発行:2001年12月11日
>                            登録者数:242人
>                             http://www.jca.apc.org/mekiki/index.html
>                  《↑HPが引越ししました。ご注意を!》
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> *今回のメール・ニュースでは、カリフォルニア州サンディエゴ在住の米山リサさんに、9.11から3ヶ月たったアメリカ合州国の状況について文章を寄せていただきました。
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> ▼もくじ▼
> ■[投稿記事] 9.11以後のU.S.A.       米山リサ
> ■[編集後記]
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>  ■[投稿記事] 9.11以後のU.S.A.       米山リサ
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>  李さん、 挙国一致のアメリカ、戦時態勢下の基地の町サンディエゴからお便りしています。「反米」ではない合州国批判、国家の枠組みに陥らない現状批判のために、アメリカ内部での具体的な抵抗や批判といったものを知りたい、知らせたい、という李さんのお気持ちに、十分こたえられるかどうかわかりませんが、身近な取り組みをつうじて、いくつかご報告したいと思います。
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 日本語圏でも報道されているように、9月11日に起きたペンタゴンと世界貿易センタービルの破壊を契機に、合州国内では人種差別を動機とした暴力と、さまざまな人権侵害が起きています。「反テロ対策」の名のもとに、反民主的で人権抑圧的な立法USAパトリオットが、十分な議会の審議もなく成立してしまいました。「反テロ」のために総動員された挙国一致の戦争時下で、さまざまな新たな暴力、文化的抑圧、排除、ステレオタイプ化が、法に触れることなく、ニュース・メディアが日々繰り返す「非常時だから」という理由で、当然のように見逃されています。
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 ブッシュ大統領の「我々につくか、テロリストにつくか」という二者択一の構図からもうかがえるように、「テロリスト」は、まるで冷戦時代の「コミュニスト」に似た言葉となっています。国内外の現状に抵抗する人々を取り締まり、異質な考えをもつ人々の口を封じ、経済効率のために不要な人々を切り捨ててゆくうで、たいへん好都合な「仮想敵」の概念となっているのです。9月11日の惨事は、一般市民や非戦闘員にたいする無差別攻撃という意味では、たしかにテロ行為と呼べるものだったかもしれません。しかし、「テロ」という言葉は今、合州国の暴力と不正義の「他者」を示す言葉として用いられ、米国や日本やイスラ
エルなどの同盟諸大国と多国籍企業による、構造的で日常的なテロ行為を見えなくする言葉となっています。
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 しかもブッシュ政権が提唱する「テロリスト」たちを裁く軍事法廷では、法的審理を経るまでは無罪、という法の基本姿勢を遵守する必要はないことを、任命される前からそのネオ・ナチ的傾向が問題とされていた司法長官アシュクロフト自身が述べています。また、国家間関係の視点からなら、「テロリスト」という新たな「仮想敵」は、冷戦時の共産主義よりもさらにいっそう、米国と米国に依存する国々と経済の利益追求に役立つものであるともいえます。アメリカは冷戦時、親米的な傀儡政権をうちたてたり、隠蔽工作を行うことで世界所地域に影響を及ぼしてきました。ところがこの「新しい戦争」以降、傀儡や隠蔽の必要さえなくなってしまったとさえいえます。「テロ組織」という仮想敵を理由に、軍事力を直接行使して他国を破壊し尽くし侵略し支配することが、国際社会の積極的な支持と承認のもとに、公然と可能になったからです。アメリカはテロリスト組織をかくまっているという理由で、タリバン政権下のアフガニスタンを攻撃しました。動機は、カスピ海に貯蔵された豊かな石油だといわれています。アフガニスタンへの攻撃は、そのような前例をつくってしまったのだといえます。イスラエルがその同じ構図にしたがってパレスチナに対し殺戮を行っても、もはや国際社会は批判する力をもちません。このような意味において、「テロリズム」という言葉は、なんとかして解きほぐさねばならないのです。
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>  さて、11月29日、私たちの大学では「9.11・グロ−バル・エマージェンシーズ」と題する学内集会三回シリーズの第1回を開き、市内の大学から講師を招きお話をききました。9月末から2ヶ月かけて準備してきたもので、事件後の学内集会としては比較的遅いものでした。準備のさいに、私たちも「テロリズム」という言葉を避けることにしました。
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 5人のパネリストの一人は、人類学者で、中央アジア、パキスタンの難民の状況を追ってきたムスリム系インド系アメリカ人女性のフマ・アーメッド・ゴッシュ氏でした。冷戦によって踏みにじられてきたアフガニスタンの近代史を手短に述べてもらい、アメリカ主導による外交政策によって「難民化」された女性たちがどのような過酷な状況におかれてきたかについて話してもらいました。彼女は、タリバン政権下の女性についてメディアが大きくとりあげてきたことについて触れ、アメリカその他のいわゆる先進工業諸国の女性たちが真にアフガニスタンの女性の「救済」を望むなら、まず何よりも自国の軍事・外交政策に変革を迫るべきではないか、ということを強く訴えました。日本語ネット圏でも早くから流れされた、息子をワールド・トレード・センターで亡くしたロドリゲス夫妻がブッシュ大統領にあてた手紙のなかで、報復によるさらなる流血を「息子の名においてけっして」行わないことを求めた一節で話が締めくくられると、会場からの拍手はしばらく静まりませんでした。
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 また、もう一人のパネリストで、移民の人権問題を課題としている若い法学者ウィリアム・アセヴェス氏には、ほとんど議会の議論もなく通過してしまったUSAパトリオットと呼ばれる「反テロ」立法、そしてブッシュ政権が提唱する軍事裁判の仕組みが、市民的自由の制限や、米国籍をもたない市民や移住者にたいする人権侵害という点からみてどんなにひどいものであるか、手際よく整理してもらいました。また、祖父母と両親がスリランカから移住してきたという南アジア系の学部生は、9.11以降、周囲の視線や扱いが南アジア系の学生たちにたいしてどのように差別的なものにかわったか、そのことが彼らのアイデンティティをどのように強固にし、今後アメリカ合州国の政治や歴史への批判的視座を養うことになるか、といった話をしてくれました。
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 いずれも短いものでしたが、密度の濃いもので、9月の事件、そしてアフガニスタン爆撃開始からしばらく過ぎて、知識不足、情報不足が切実な実感としてあった私たちにとって、ほんとうに貴重な一時となりました。印象に残ったのは、期末試験間近というのに、水も漏らさぬ熱心さで聞き入っていた会場の緊張感でした。挙国一致ムードが先行し、メディアが「大本営化」し、大統領や政府の政策を批判することが許されない状況がつづいているなかで、どこがどうおかしいのか、いま、なぜ、何を許してはいけないのか、といったことについて、漠然とした不満や疑問としてではなく、明確な言論として公の場で共有できたことは、それだけでも大きな成果だったと信じたい思いです。冬学期には、イスラエル・パレスチナの状況と、アラブ系・ムスリム系・南アジア系の人々への人権侵害と暴力について話してもらう予定です。
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 集会じたいは、大きな妨害もなく終えることができましたが、集会のアナウンスをしたとたん、イスラム教徒に対するヘイト・メールや、集会の趣旨を誹謗中傷するメールや、資金源を詮索し、大学が支持するべき活動ではない、と批判するメールなどが次々と送られてきました。大学側にコンタクトをとったところ、大学は即時、アカデミズムの自由、言論の自由、知識に裏付けられた議論の重要性を理由に、セキュリティ関係者を数人配置しました。
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 こういった反動はあるていど予測していたことでした。予想外だったのは、集会の準備のためにメーリング・リストに加わってもらった信頼していた教員のなかから、これはヘイト・メールではない、傷ついてどうしてよいか迷っている人物なのだ、とか、アメリカ帝国主義を批判する言論では説得力をもたない、いま、必要なのはニューヨークの犠牲者への哀悼の意を表明することだ、といった意見が相次いで出されたことでした。
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 もと専門デザイナーだった大学院生が作成してくれた私たちの集会のポスターには、集会の趣旨を説明するつぎのような一節がありました。「9月11日に起きた、ペンタゴンとワールド・センターとその他の場所の破壊へといたった歴史と、政治的・経済的諸状況、そしてこの事件へのさまざまな政治的・文化的な対応をさぐります。」 被害を受けたのが多くの人々が親しみを抱く「ニューヨーク」ではなく、共感を容易に呼ぶとはいえない米国の軍事的覇権の象徴であるペンタゴンと、世界の経済格差の象徴であるワールド・トレード・センターであることをはっきりと書き出したことが、琴線に触れたということがひとつにはあります。「悲劇」とか「犠牲」といった表現を用いなかったことも、反感を招いたのでしょう。それよりも問題なのは、多くの人々が、「破壊へといたった政治的・経済的諸状況」を考えるということ自体に抵抗を感じていたという事実です。
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 このような反発が生まれる背景には、これが「アメリカ史」上はじめて起きた、非戦闘員の殺戮と、日々の生活を営む慣れ親しんだ町並みの破壊であり、「アメリカ人として」どのように正しく喪に服すべきなのかわからない、という混乱した気持ちが一方にあります。もう一方にあるのは、9.11の背景について思いをめぐらし、そこに何らかの理解と説明を加えることが、死と破壊を合理化し、正当化していることとであるかのように混同してしまう思い違いです。
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 9.11事件のあと、ブッシュ大統領は、「9.11に説明などいらない、答えがあるだけだ」と公言しました。10月には、復興援助の寄付のために訪れたサウディアラビアの王子アルワリード・ビン・タラルがアメリカの中東政策の再考を促した発言に対して、ジュリアーノ前市長が激しく反発する、という一幕もありました。9.11を批判的に検証することは、死者を冒涜することである、というすり替えが起きてしまっているのです。政府とメディアは、死を悼む人々の感情をこのように利用しています。そのことが言論と思考を麻痺させているのだともいえます。暴力の連鎖を断つためには何をするべきか、という問いさえ問えなくしているのです。「アメリカ」や「アメリカ人」にたいして疑問なく同一化できると感じている人たちほど、このような思考停止状態にあるともいえます。いっぽう、日本ではどうでしょう。ヒロシマ・ナガサキの被害にいたった歴史的背景について考えたり、ヒロシマ・ナガサキの惨劇について人々がその後どう対応し、どう考えてきたかを批判的に検証したりすることを、死者に対する冒涜だと考えるひとは少ないのではないでしょうか。むしろ、批判的に考えるからこそ、同じ悲劇を繰り返さないのだ、と考えるのではないでしょうか。
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 いっぽう、「テロリズム」との「戦争」のための本土防衛強化という名目で、事件以来、一千人を越える数の、年齢18から33歳までの中東系の若い男性たちが各所に拘留され、五千人がアル・カイダとの関係について尋問されているといわれています。拘置所では、身体的な暴力に加え、弁護士と接見する権利を剥奪されたり、信仰上ふさわしい食事を与えられないために健康を害したり、保釈金の支払いを拒否されたり、重犯罪を犯した人々と同じ扱いをうけたりしていると伝えられています。全国紙、地方紙を問わず、イスラム寺院が破壊されたり、ベールを身につけていた女性が教われたり、「アラブ人を殺せ!」といった罵詈雑言を浴びせられたり、といった事件が伝えられています。十月中旬には、期限切れビザなどの理由によって不当に長期拘留された中東系市民が、拘置所内で暴行を受けたり、十分な医療保護が与えられれずに死亡したというケースも報告されました。
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 9.11直後、ブッシュ大統領はイスラム寺院を訪れ、ラマダンのさいには中東系のコミュニティの指導者をホワイトハウスに呼んで日没後の食事を共にしたり、アメリカの「新しい戦争」がイスラム教やアラブ世界を敵とするものではないことを強調してきました。大統領自身、日系人を強制収容した歴史の過ちは繰り返さない、と言明しています。しかし、移民帰化サービスの拘置所は、実質的な「強制収容所」となっているといえます。しかし、政府当局は人種差別、宗教差別はしていない、と表明するいっぽうで、現実には人種、民族、宗教だけを指標として中東系の男性を一方的に拘留したり、尋問したりしているのです。差別はいけない、という舌先の建前の表明が、暴力を防ぐどころか、逆に、現実に起きている中東系の人々に対する強制捜査や尋問や不当な拘留の事実を見えにくくしまっているのだとさえいえます。
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 暴力は、アラブ系の市民だけにむけられているわけではありません。目に見える違いをつうじて、ブラウンな肌の人々、宗教の違う人々一般にむけられています。シーク教徒やヒスパニック系市民が、「アラブ人と間違えられて」殺害されたり、危害を加えられるケースが相次ぎました。アメリカ先住民の女性が「国に帰れ!」といって殺害されたケースも伝えられています。サンディゴでも「お返しだ!」という意味の叫びとともに、ソマリア系の女性が車にはねられるという事件がありました。アリゾナ州では、シーク教徒を男性を殺害したあと、近隣のレバノン系人とアフガン系人とを同時に襲撃する、という事件まで起きました。大学キャンパス内だけでも、9月末までに250を越える人種差別に根ざした暴力や嫌がらせが起こったと記録されています。これはあってはいけないことです。しかし、この「アイデンティティ誤認」、つまり、人種的・宗教的出自や宗教を間違われてしまうことでおきる暴力や侵害が、非暴力的で、対等で、歴史認識に根ざした、新しい国際市民社会の構築にむけて、新しい連帯と共感を生み出していることも事実なのです。このような偏見や差別が、逆境と苦悩をつうじて、思いがけない連帯の可能性を生んでいることを、日本語圏の皆さんにお伝えしておきたいと思います。
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 これまで中東系や南アジア系の市民には、合州国の移民政策の性格から、専門職をもった比較的経済的に安定した背景の人々が大部分を占め、アフリカ系市民やヒスパニック系市民の公民権運動や、移民の人権問題や、レイシズムに根ざした構造的不均衡の是正を求める活動、といった取り組みには、必ずしも深い共感を示してこなかったといわれています。階級によって諸権利が保障されてきたという点で、中東系や南アジア系の市民は、白人でキリスト教徒でブルジョアで核家族、という「アメリカ人」の規範から自分たちがずれていることにあまり敏感ではなく、これらの問題について自らを政治的に動員することはけっして多くなかった、といわれています。中東や南アジア地域の国家情勢そのものもまた、国内でのコミュニティ形成、エスニシティー関係に影を落とし、人種や地域をつうじての連帯よりも、むしろ国家や民族を機軸とした反目や対立がみられました。しかし、9.11以後、アメリカ社会のなかで肌の色の違い、宗教の違い、アクセントの違い、といったマーキングによって「非国民」と一括され、差別を経験する人々が増えています。そのことによって、中東系、南・中央アジア系のコミュニティ内部だけでなく、他の「色づけされた」マイノリティとの結びつきが強まっていることがうかがえます。バークレーでは、移民労働者問題や内なる第三世界問題に関わってきたヒスパニック系の学生とアラブ系、ムスリム系の学生たちがともにベールをまとって連帯の意を表明する、というパフォーマンスを行いました。現在起きている公民権剥奪の問題と、移民や第三世界問題との連携は、合州国内での権利主張が、じつは世界における米国の特権によって守られたものであるという批判もまた、明らかにしてくれるのです。
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 そしてこの共感と連帯は、自分や祖先が後にしてきたはずの土地までへも向けられています。9.11後、シーク教徒たちがつづけて襲撃されたことをうけて、インド政府はアメリカ政府にたいして、シーク教徒の安全の保障をもとめました。これにたいして、在米シーク教徒の団体はつぎのような回答をしました。彼らはインド政府に謝意を表明する一方で、インド国内のマイノリティであるイスラム教徒の安全を保障するように、と要請したのです。仮に反中国感情が高まって、在米日本人たちが、「中国人と間違えられて」暴行をうけたりしたとき、在米日本人諸団体は日本政府に対して、たとえば日本国内の在日外国人の人権侵害をやめるように、と毅然とした態度を表明することがあるでしょうか。ぜひそうあってほしいと思います。
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 いっぽう、とりわけ東アジア系市民のなかでは、アメリカ合州国という国家による暴力や選別・序列化の歴史のなかで、中東系、中央、南アジア系の人々たちとの共通の位置を確認する、という、時を超えた連帯が生まれています。
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 9.11事件直後、政治家やメディアが一斉に「パール・ハーバー」に言及したことから、まっさきに危機を直感したのは、間違いなく日系市民でした。9月末、ロサンゼルスのリトル・トウキョウでは、日系市民が中心となってムスリム系・アラブ系市民との連帯を表明する集まりがありました。日系アメリカ市民リーグは9.11直後に中東系市民への迫害や人種偏見への警告を促し、9月末発刊の新聞では、アラブ系市民の強制収容の危険を問う記事を組み、また、反アラブ感情に根ざした非白人市民への暴力的犯罪の数々を伝え、読者の関心をたかめました。より最近、ラマダン明けには、第2次大戦時に仏教徒であるために受けた人権侵害や差別を思いだし、今日のイスラム教徒への偏見と不当な扱いをなくそ
> うと、仏教会とイスラム教会と合同の集まりが開かれたりしています。
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 政府やメディアにとって、9.11後の脈絡で日本軍による真珠湾攻撃を連想することは、いま、ブッシュ政権が行っていることを正当化し、批判的な言説を管理するうえでたいへんな有効な威力を発揮しています。それは、反ファシズムという「よい戦争」、正義の聖戦だった第二次世界大戦を思いだし、開戦布告のない不当な攻撃に対して挙国一致団結すれば、敵に勝利し、世界を自由と繁栄に導けるのだ、という二十世紀アメリカの世界支配の物語をくりかえすためには格好のプロットなのです。(いっぽう、「テロリズム」に対する戦争を言論弾圧をともなった「冷戦」と結びつけること、アフガニスタンへの爆撃を泥沼化したベトナム戦争」と結びつけることとは、入念に避けられているといえます。)また、9.11の「テロ」と同様に、真珠湾奇襲は説明抜きに「悪」であって、そこに至った背景など一切考えなくていいのだ、という、これまで流布してきた歴史の常識も、9.11の批判的な省察を避けるうえで役立っているのだといえます。
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 しかし、政府やメディアにとって、「9.11が真珠湾と同じだ」、ということが、「アメリカが戦争によって悪を克服した」、というよい物語を述べることであるとすれば、日系やコリアン、中国系、ベトナム系のアジア系市民の多くにとっては、パール・ハーバー直後に起きた、合州国政府の手による凄まじい人権蹂躙と、今日も続くアジア人敵視・蔑視の歴史を思い出させることでもあるのです。「9.11はパール・ハーバーだ」と力説されるたびに、いま、ここで起きている、自分たちと同じ位置におかれた非白人で非キリスト教徒の市民に対する不当な暴力と権利剥奪を、そして家族が祖先が後にしてきた国々で合州国が行ってきた数々の殺戮と破壊を、連想せずにはいられない人々が、この国に少なからずいるのです。
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 在米シーク教徒たちは、「アラブ人と間違われて」襲われるとき、自分たちはアラブ人ではない、といって身を守ることはしていはいけない、それはアラブ人への暴力を正当化してしまうから、という見解を表明したといわれています。パール・ハーバー以降、日系人が襲われ、強制連行されたとき、中国系やコリアン系の東アジア人を区別するためにアメリカ政府はパンフレットを発行しました。自分たちは日本人ではない、日本の侵略と破壊の被害者なのだ、アメリカの味方だ、といって身を守った人々も大勢いました。同時に、どんなに努力して自ら日本人と区別しようとしても、アメリカ社会の差別の構造が変革されないかぎり「アイデンティティ誤認」はなくならない、したがって、非白人に対する暴力はなくならないことを、アジア系市民の多くは、戦争が終わった後もずっと身をもって学んでもきたのです。ここでもやはり、時間と空間を超えて、人種化をめぐる連帯と共感が生まれています。
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 「私たちは移民と難民と奴隷からなるネーション。私たちは、地球の隅々にある私たちのルーツを忘れない。そしてこの地での長きにわたる自由のための私たちの闘いも!」 ある路上デモで掲げられたプラカードが、ラディカル・アジアン・アメリカンのウェブサイトの冒頭に掲載されています。アメリカ国内における「自由のための闘い」を思い起こすことと、「移民と難民と奴隷」を生んだ合州国の侵略と殺戮の歴史を批判的に省察することとが連なっているのです。ここにあるのは、公民権運動を国民化の運動にしてしまうことのできない記憶の作用です。合州国はいま、非常事態下にあります。しかし思想家ベンヤミンがいったように、植民地下や警察国家のもと、人種や宗教やジェンダーや階級によるさまざまな抑圧と排除を経験する多くの人々にとって、非常事態下に生きることはなにも特別なことではないのです。この過酷な「新しい戦争」下の非常事態が、より多くの人々に自分たちがじつはこれまでも非常事態下にいたことを気づかせ、危機を好機とかえてゆける力を互いに養いあってゆく可能性を秘めていることを、信じたいものです。
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>          米山リサ: カリフォルニア州立大学サンディエゴ校教員)
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> 【編集後記】
 9.11以降、合州国で起こっているような「差別の暴力」は決して合州国固有の問題ではなく日本の問題でもあります。しかもそれは日本でも9.11のような事件が起こりえるという「可能性」としてではなく、すでに起こっている「現実」としてです。 1998年に北朝鮮の「テポドン」がマス・メディアでにぎにぎしく報道されたとき、朝鮮学校の学生、とりわけ女子小学生が刃物で斬りつけられるという陰惨な暴力事件が多発しました。しかしこうした暴力は1998年だけに起こったことではなく、それ以前からもマス・メディアで北朝鮮がセンセーショナルに取り上げられるたびに起こっていたものです。 しかしそうした暴力を引き起こす「北朝鮮報道」のあり方が、日本社会で問題視されたり、マスコミ内部で反省される、といったことは今日まで(少なくとも私は)見たことがありません。もちろん朝鮮学校の女子生徒が暴力にあっていることは(決して全部ではないものの)報道されましたが、しかしそうしたマスコミの報道自体が「医原病」ならぬ「報原病」であることは、まったく考慮されなかったし、省みられることすらないまま今日に至っています。たとえば近年の「外国人」による犯罪の過剰で扇情的な報道は、「無神経」というレベルを超えて「犯罪的」と言ってよいほどです。昨年の石原慎太郎都知事の「三国人」発言はマスコミでも相当批判されましたが、しかし当のマスコミが自らの報道の持つ問題性にどれほど自覚的であり、反省的であるのかははなはだ疑問です。
 では、どうすればそうした報道の暴力を批判し、その批判を社会化できるのか。今何より必要なのはそうした問題を提示し、議論できる自由な「空間」を作り上げることのはずです。
> (                      vol.4 編集担当=李 孝徳)
>
> ◎みなさんからの御意見・御感想、なにより投稿をお待ちしています!
>
> ◇──────────────────────────────────◇
> │発行= 2001年12月11日 発行所=メキキ・ネット事務局             │
> │                                                                │
> │ ホームページ: http://www.jca.apc.org/mekiki/index.html       │
> │ 電子メール: mekikinet-owner@egroups.co.jp                    │
> │ FAX: 020-4666-7325                                        │
> ◇──────────────────────────────────◇
>
>
> 2.「9・11事件報道を考えるジャーナリスト・シンポジウム」開催
>                       (2001年12月22日)のお知らせ
>
>  私たちは今、恐るべき権力の暴走に直面しています。
>  2001年9月11日の破局的事態を、合衆国政府は「テロリズム」と呼び、
> 捏造された「敵」に対する「報復」を誓い、「戦争」へとなだれ込みました。一
> 方、日本では十分な議論もないまま実質的な改憲に値するような立法が行われ、
> 「戦争支援」に乗り出しました。メディアが何故このような暴走を止めることが
> できないのか、そして受け手はメディアとそれが供給する情報にどう対面すべき
> なのか。それが今ほどに深刻に問われている時はないでしょう。
>  右傾化する日本社会における「メディアの危機」に抗することを設立趣旨に謳
> うメキキ・ネットは、この「危機」に際してシンポジウムを開きます。題名の通
> りジャーナリストのみなさんと市民が場を共にして、「事件」報道がはらむ問題
> を大いに議論する会にしたいと考えています。
>  メディアに関わるみなさん、現在の報道に疑問を持つ市民のみなさん、ぜひご
> 参加ください。
>
> 《基調講演》
>       太田昌国さん(現代企画室)
> 《パネリスト》
>       山田聡さん(『ダカーポ』編集部)
>       遠藤大輔さん(ビデオ・ジャーナリスト・ユニオン)
>       石山永一郎さん(共同通信外信部)
>       境分万純さん(フリージャーナリスト)
> 《質疑応答・討論》
>        当日はできるだけ討論の時間を取り、フロアのみなさんからも議論を提
>         起していただきたいと思います。
> ◇日時:2001年12月22日(土) 
>         18:00開場 18:15開始 お早めにお越し下さい
> ◇会場:東京ウィメンズプラザ大ホール
>         位置:東京都渋谷区神宮前5−53−67
>         JR山手線・東急東横線・京王井の頭線:渋谷駅下車徒歩12分
>         営団地下鉄銀座線・半蔵門線・千代田線:表参道下車徒歩7分
>         都バス(茶81系統・渋88系統):渋谷駅からバス4分
>                                   「青山学院前」バス停下車徒歩2分
>         東京ウィメンズプラザのホームページは下記のとおりです。
>         http://www.tokyo-womens-plaza.metro.tokyo.jp/
> ◇参加費 500円
> ◇問い合わせ先
>  メキキ・ネット(メディアの危機を訴える市民ネットワーク)事務局
>  ホームページ: http://www.jca.apc.org/mekiki/index.html
>  電子メール: mekikinet-owner@egroups.co.jp
>  FAX: 020-4666-7325


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