子どもたちに<生きる力>と<希望>を! |
21世紀を<平和の世紀>に! |
平和MLより 0101 |
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<21世紀を平和の世紀に!>掲示板 |
戦争は人の心の中で起こるものだから 人の心の中に 平和の砦を築かなければならない |
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ユネスコ憲章 前文 |
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強梁なる者はその死を得ず その1 |
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{peace-p:0088} 仁 (011113) | ||
皆様、仁です。 「戦争」という現実をやめさせようとする行動のまっただ中に入り込むのはとても戸惑いを感じますけれど、子どもたちが何を願い、どんな自己実現を夢見ていくかという問題として、子どもたちをサポートしていく大人の問題として、考えていますので、そこからの考えを述べさせてください。理論でも実践でもないはかない思いに過ぎませんけれど・・・。 子どもたちが学び取るものは「現実の世界」からだと思いますし、大人だって、そうです。大人になっていくことは、願いと現実が少しづつ見えてくることではないかと思います。とりわけ、子どもの頃の願いがより鮮明に見えてくるような気がします。そして現実も見えている。大人はいつでも、もう一度、子どもの頃の願いに戻りたがっているような気もします。仁だけの夢想なんでしょうか・・・。仁は子どもの頃の願いを生き続けたいと、まだ、思っています。 子どもたちには大人の現実が矛盾に見えています。仁にも自分の現実が矛盾に見えています。けれど、矛盾の中でしか生きられない。誰もが、矛盾と闘いながら生きているんですよね。子どもたちも同じ道を辿っていくんです。そして現実に適応する能力を獲得していきます。現実の方は一向に変わらない。巨大化し、複雑化し、「競争原理」至上の世界を構築してきました。西欧化と呼んでいるものなんでしょうけれど・・・。けれど、その神話は崩壊し始めていると感じます。第三世界の人達は決してそれを望んでいないことはあきらかです(国家は別ですけれど・・・)。21世紀は、もう、高きにつく世紀ではないと思います。もっと低いところで、もっと自然に近いところで生きていく世紀だろうと思います。子どもたちが自然の中で遊び、自然の中で育ち、自然に学び、自然の力を貰い、自然の知恵を生きていけるように願ってやみません。そんな場と出会いを創り出していければ、子どもたちはもっと自由に、やさしく、そして輝いていくんではないでしょうか・・・。夢想ですか・・・。けれど、子どもたちと遊ぶことに価値を見つけだす大人達がもう随分現れてきています。 もっともっと増えていくことは間違いないと思います。子どもたちと一緒に生きていこうとする大人達が少しずつ増えていけば、世の中もっと柔らかくなっていくのではないでしょうか。大人はかって子どもだったんです。その子ども時代の願いを裏切って、大人になったんですから、今度は、その自分の子ども時代の願いに応えるような生き方に転換してもいいのではないかと思ってしまうのです。3000年も4000 年も大人達は戦争してきたんですから、100年や200年で戦争のない世界を創り出すのは難しいでしょうけれど、少なくとも自分の身近な子どもたちや大人達には、平和への願いと子どもたちと一緒に生きることの幸せについて語り合えるし、伝え続けていけるんではないでしょうか・・・。現実からドロップアウトした大人もいるよ。ドロップアウトしたら、貧しいけど、こんなに自由で、Happyだよ、っていう生き方を身近な大人達がしていれば、子どもたちももっと豊かな生きかたを創り出していけるんじゃないかと夢想しています。 青柳仁メールアドレス mr2310@po.saganet.ne.jp |
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強梁なる者はその死を得ず その2 | ||
{peace-p:0090} 仁 (011116) | ||
皆様、青柳仁@柳川です。 軟弱者の愚仁がおずおずと物言わせていただいています。物事をズバリと言える人が羨ましいと思っています。今朝の西日本新聞にズバリと物を言っている人がいましたので、紹介したくなりました。 ************************************************************************* 『勝ちて美とせず』 人間は競争し差を付けたがる生き物だが、わたしはいまや競争に興味はない。競い 合うのは嫌だ。なぜか、たぶん、勝つことに意義を見いだせなくなったからだろう。 競争が「対決」となり「たたかい」となり勝敗につながる場合、負ければ悔しくて、 相手を妬んだり、憎んだりすることになるし、逆にこちらが勝てば、向こうがそうな るだろうと思うと率直に喜べない。勝って得意になるなんて気恥ずかしくてできはし ないのだ。 (中略) それかあらぬか、さきほどニューヨークで起きた壮絶なテロ攻撃も、これは弱者の 強者ーそれも圧倒的な強者ーに対する捨て身の反逆だと見て、一瞬、胸のすくような 感動を覚えたのだった。人がたくさん死んだのにけしからんと、ひんしゅくを買うか もしれないけれど致し方ない。その時わたしのなかに、かって自分が心底たたき込ま れた体当たり特攻の「玉砕の美学」が甦ったのだ。道連れにされた人々は気の毒だ が、この捨て身の反撃は、たとえば昔、安全な高空から、なくもがなの止めの一撃で 落とされた広島・長崎のあの原爆の残虐に比すれば、遙かに人間的である。このテロ は、その原爆をも生み出し肥大化した非情な現代の機械文明に対する、神の懲罰と読 みとることもできよう。 (中略) そこでわたしは、せめてその汚名を多少は浄めてくれるかもしれない『老子』の言 を、かの大国に贈りたいと思う。 曰く「勝ちて美とせず」と。強い者はすべからく敗れるのが善いのである。 ――【西日本新聞 11月16日 池田龍雄】―――――――――― ************************************************************************* 池田さんがどんな人か仁は知りません。軟弱な仁には到底言えないことですが、こんな発想で思いを表白できる強い人がいるもんだと感心してしまいました。「玉砕の美学」ならぬ「逃亡の美学」(何のことはない、ただ逃げるが勝ち)の仁はさて何に感心したのだったか・・・。仁のどこかにまだ「捨て身の反逆」に対するシンパシーが残っているのかもしれません。くわばら。くわばら。 けれど、子どもたちの中に「捨て身の反逆」を感じとるとなぜかしら「反逆」に共振してしまいます。 <現状が続くなら、地球上に生物は存在しなくなると思っています。 私たちはまだ生きられますが、子どもたちの未来を奪っているのです。 悲しいですね、文明国というのは…> miraiさんの言葉です。 〇-----*****************************************************-----〇 無料メルマガ『高校生の性の今』 <心だけでは不安なんだよ>という高校生の声があります アダルトチルドレンの社会現象があります もう一度性の現実について率直に語り合ってみませんか? http://melten.com/osusume/?m=7207&u=5428 〇-----*****************************************************-----〇 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 『教育を語るML』 aojin7@freeml.com 『高校生の語り広場ML』 aoyagijin@ml.melma.com 『教育ボランティアネットワーク7 』グループのアドレス: 投稿アドレス: kyouikuborantia@egroups.co.jp ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ |
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「中庸」ということ | ||
{peace-p:0091} 石黒 (011117) | ||
皆様 こんにちは 石黒です 池田さんのご意見を読ませて頂いて前回仁さんがおっしゃってました矛盾と言う言葉を思い出しました。 私自身競争する事を好みませんがでは全くの競争なしの平坦な人生に果たして生きがいを見出せるかとも考えますし・・・ この頃中庸の意味をより深く考える様になりました。 |
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強梁なる者はその死を得ず その3 | ||
{peace-p:0092} 仁 (011117) | ||
石黒様、皆様、仁です。 「矛盾」の話しを心に留めていただいて嬉しく思います。「矛盾」に対峙する心の在り様を探しています。 子どもたちが大人に見ている矛盾を子どもたちに即して明らかにしたり、探求したりしたものを不勉強で知りませんのですが、生徒たちの声を聞いているとここに大きな問題が潜んでいるように感じるんです。「理想」と「現実」とか、「平和」と「戦争」とか、「善」と「悪」とかで考えてみましても、子どもたちの感受し、志向するものと大人たちの間には、随分大きな隔たりがあるような気がします。大人はかって子どもであった、と仁はどこでも言ってきました。当たり前のことですが、ここにこだわっています。言い換えれば、過去の子どもであった自分は今の「大人」である自分自身なんですよね。矛盾の中でいつの間にか自分自身である<こども>を忘れたり、切り捨てたりしてきたようです。もっと言い換えれば、過去の子どもであった自分は、実のところ、未来の自分なんではないのでしょうか・・・。未来の子どもになること、それを仁は成熟というのではないかと考えています。たとえて言えば、小説家たちが繰り返し処女作に立ち戻るようなものです。極端な言い方をさせていただければ、真理はすべて子どもたちの中にある。子どもは根源的ないのちの発現だと感じています。 「大人」は残念ながら「矛盾」に呑み込まれてしまい、「現実主義者」になってしまいます。つまり矛盾に対峙することを放棄して自己防衛とか自己正当化とかの思考回路に嵌り込んでいくようです。その思考回路の支配的パラダイムが「競争原理」なのではないでしょうか。強者の論理なのです。言葉は正確ではありませんが、そんなパラダイムを仁は「孔子的世界」とか「カトリック的世界」とか呼んでいます。人間 至上主義です。人間が星の雫の一つに過ぎないことを忘れている論理ではないでしょうか。 自然界も勿論競争原理で成り立っています。太陽も微惑星の衝突で形成されていきます。けれど、人間が創り出した「競争原理」は人間にしか適用されない代物のような気がします。自然界は弱肉強食だけれどもそれが自然の営みとして調和しているんですね。人間の弱肉強食はジェノサイドなんです。アメリカは<広島>を何とも思っていない。己が勝つためだけに「核兵器」を生産し続ける。カトリックも己が勝ち残るためだけに「聖戦」を実行してきました。 学問がこの「競争原理」のパラダイムを創り出してきたことを思えば、<学ばざるもの憂いなし>の根源的世界への回帰は21世紀の最大の課題ではないかと仁は考えるのです。 子どもたちにこのパラダイムを受け渡してはならない。 大人は、これから、自分の中に新しい未来の子どもを創造していかなければならない。 忘却した自分の中の子どもを、あるいは切り捨ててきた自分の中の子どもを、もう一度甦らせなければならない。 そのためには、子どもたちとつき合い、子どもたちと対話し、子どもたちから学ぶ他ないんです。 矛盾と対峙する新しい子どもを自分の中に創り出していくしかないんです。 これは自分自身との非妥協の闘争です。自分自身との非妥協の闘争の中から愛が誕生していくでしょう。子どもが愛の産物であるように自分自身も愛の産物なのでした。 子どもたちは本来光の子です。子どもたちから光を奪ってはならない。 子どもたちの未来を奪ってはならない。 > ――【こどもと戦争と平和を考える・ぴーすP−ML】―――――――――― > [1]他者のイデオロギー、スタンス、表現、考え、思いを否定しないで下さい。 > [2]自分と異なる考え方と接する事を目的とし、感化を目的としないで下さい。 > [3]相手に届くように言葉や表現を選んでください。 > ――――――――――――――――――――――――――――――――――― > > 皆様 こんにちは 石黒です > > 池田さんのご意見を読ませて頂いて前回仁さんがおっしゃってました > 矛盾と言う言葉を思い出しました。 > 私自身競争する事を好みませんがでは全くの競争なしの平坦な人生に > 果たして生きがいを見出せるかとも考えますし・・・ > この頃中庸の意味をより深く考える様になりました。 > > 石黒尚美 自分自身が自分自身の新しい未来の子どもを創造する人生は、とてもじゃないけれど、平坦な道程ではありません。それは茨の道を歩くような苦しい闘いの道なのではないでしょうか・・・。マザーテレサは死に行く者の手を握りしめることから人生を創造していきました。心一つが始まりでした。そして心一つのまんまだったのかもしれません。心は大きな器です。なのにその限りなく大きな心を、仁は、まだ、少しも生ききってはいません。豊かな世界は自分の内部にあるんじゃないでしょうか・・・。 「中庸」というのは、まんなかのことなんでしょう。 真ん中は、両端や、全体がなければ、ありえません。一方に立てば、真ん中じゃない。真ん中に立っても、真ん中じゃない。両方を行ったり来たりしても、やっぱり、真ん中じゃない。「中庸」というのはどんな在り様なんでしょう・・・。 あらゆるものは根源に戻り、あらゆるものは根源から再生します。 真ん中にいないと、根源にも戻れない・・・。 ともかく、子どもに戻ってみませんか・・・。 おつきあいいただいてありがとうございます。 |
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強梁なる者はその死を得ず その4 | ||
{peace-p:0093} 仁 (ー11117) | ||
石黒様、皆様、仁です。 再びまどろみの寝言を続けさせてください。 子どもたちは釣り鐘のようなものだと感じています。撞けば響くんですね。小さく 撞けば小さく響く。大きく撞けば大きく響く。やさしい心で撞けばやさしい心で響 き、批判の心で撞けば批判の心で響く。大人だって同じでしょうけれど、大人は釣り 鐘を道具に変えてしまったり、自己防衛のバリアに変えてしまったり、釣り鐘の内部 を「競争原理推進備品」で埋め尽くしてしまったり・・・。ブッシュの釣り鐘はさて 核兵器を内蔵しているのかしら・・・。「テロ」の心で撞いたら「報復」の心で響い てしまった。もしブッシュが子どものような釣り鐘だったら、どんな響きをしたので しょうか・・・。 釣り鐘の内部は空っぽです。空っぽだから相手の心で響くのです。 子どもの心はまだまだ命に近い。あるいは無心に近い。 けれど、今、子どもたちを釣り鐘ではなく、パッケージ商品に捏造してきた矛盾が 噴出しはじめているようです。 ピースで叩こう子どもの心。 叩け、然からば開かれん。 夕稀さんの「呼びかけ文」を子どもたちに届けていただいてありがとうございまし た。遅れたお礼ですみません。小さな撞木ですが熱量は大きいと感じています。子ど もたちには子どもたちの伝わり方をします。大人の仕事はそんな子どもたちの出会い とつながりの磁場を創り出していくことなのではないかと仁は考えています。もう、 子どもたちに教えることは止めましょう。子どもたちに学びはじめましょう。子ども たちに学んだものを子どもたちに返していきましょう。そんな大人たちのネットワー クを創り出していければいいなぁと念じています。 子どもたちが<平和の砦>でありますように。 夕稀さんの「呼びかけ文」を受け取った生徒が、仁の授業中に、一生懸命詩を書い てくれていました。夕稀さんの心に叩かれて寛子さんの心が開かれたのでしょう。仁 が語れば、「キレイゴト」。けれど、子どもたちの間には響き合う力があります。子 どもたちの持っている相互教育力は豊かです。 ************************************************************************* 夕稀様、仁です。 一つだけ、生徒からの「詩」が届きました。 ノートに書かれたものです。とても真剣です。夕稀さんの「呼びかけ」がこんな風 にうちの生徒たちの心を揺り動かしてくれることを願っています。 又お届けします。 >>>>>>>>><<<<<<<<<>>>>>>>>><<<<<<< 紙 by・寛子 真っ白な紙に 黒を一面に塗ってみた 何も見えない 何色も生きない 怖い色 その黒に塗り込まれた白を戻したくて 白を塗ってみた 黒の力は大きかった 白は戻ってこない 何度も何度も白を塗った 少しずつ白が戻ってくる 黒という暗黒の世界を 白という真っさらな世界に戻すのって 簡単じゃないんだよ 戦争という名の黒から 平和という白を救いたい 今こそこの紙のように 黒を白に塗り替えていこう 少しずつ 少しずつ みんなの手で・・・ >>>>>>>>><<<<<<<<<>>>>>>>>><<<<<<< ★ 仁へ ★ このレポートに書いてあった夕稀さんの思いを読んでいて、私も協力したい! っ て 思ったから、仁には悪いけど授業中めっちゃ真剣になって考えてみた。 こんな詩、詩にもなってないかもしれんけど、よかったら、夕稀さんに送って下さ い。 |
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