子どもたちに<生きる力>と<希望>を! 
21世紀を<平和の世紀>に!
平和MLより 0104
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<21世紀を平和の世紀に!>掲示板

戦争は人の心の中で起こるものだから
人の心の中に
平和の砦を築かなければならない

ユネスコ憲章 前文
『殺して食べる☆学習か残酷か』
{peace-p:0105} 仁 (011120)
 SACHIYO様、皆様、仁です。

 「戦争」のことが語れず、「日々のこと」しか語れない愚仁をお見逃し下さい。
 子どもたちの心は負のバリアで包囲されていると仁は感じています。豊かな感受性は、それだけに傷だらけになって、その傷からの逃亡が、「ゼニ」と「SEX」になだれ込んでいる現象をたくさん見てきました。そして、それはまた、大人たちがなだれ込んだ現象でもあったのでしょう・・・。子どもたちも大人たちも心が渇いているように感じます。けれど、涙を流せない・・・。家庭に居場所を持たない父親たちが非常に多いそうですね。生徒たちへの「親への願い」という声を集めていますが、とても切ない・・・。「よその」戦争どころではない、「わがやの」戦争が絶えない状況の中で、子どもたちは何を心の拠り所にしていけばいいのでしょうか・・・。

 けれど、子どもたちの心は、信じ合える人間関係を切なく求めています。なのに、友達どうしの間でさえそれがなかなか手に入らない。人に合わせることに疲れている子どもたちが何と多いことでしょう・・・。大半は将来への希望も閉ざされているというのが現実のようです。

 <やりがいとしての適度な利潤追求に留めておくことが出来ない大人が多いからなのでしょうか。もしそうならば、足るを知る事を教育にしっかり盛り込んでほしいと思います>

 という石黒さんのご意見がありました。果てしない欲望と果てしない絶望の狭間にいる子どもたちに大人はどう向き合っていけばいいのでしょうか・・・。

 真実との出会い・・・。いのちの尊さの気づき・・・。自分のいのちの不思議と豊かさへの感動・・・。そんなことを体で覚えていくような出会いと営みが今求められていると思います。

 教育現場は、今、確かな歩みをはじめているような気がします。

 また、<生きる力>と<ゆとり>を私達大人自身が回復していかなければならない世紀なんではないでしょうか・・・。



 朝日新聞に下記の記事が掲載されました。教育の内実を問う大きな問題提起だと仁は捉えています。
 みなさんのお考えお聞かせ下さい。

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  『殺して食べる☆学習か残酷か』
〜「食と命」の授業 小5が鶏を育てて・・・〜
秋田 保護者の一部反対し中止

 鶏を飼育したあと、食肉として処分、その肉で子どもがカレーを作って食べる。秋
田県雄物川町の雄物川北小学校で5年生のクラスが、こんな授業を進めた。「残酷
だ」と保護者から反対の声があがり、解体、調理を目前にした12日、中止になっ
た。「食と命の尊さを教えたかった」と担任。地元では、子どもたちも含め賛否両論
がある。

      朝日新聞 11月13日 小見出しより
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 仁の学校では食品流通科の生徒達が鶏の飼育と解体実習をやっています。
 今年、第17回 教育奨励賞(時事通信社)文部科学大臣奨励賞を受賞したんで
す。仁自身の取り組みではありませんが紹介したい実践です。3年前に仁も実習に参
加して、鶏の解体をしました。生徒達の思いを実感しました。今年は第2回目の「出
前授業」に同行しました。実習で学んだことを小学校全校生徒の前で生徒達が報告し
て、質疑を受けます。すごい相互教育力です。教師が話してもこうは子どもたちの心
に届かないでしょう。
 命の教育はセルフエスティームを高めると同時にエンパワーメントの土台を創り上
げていくものだと仁は考えています。
 小学6年生の感想を冊子にして生徒達に返していただいています。その感想を紹介
します。 

 『ぼくがニワトリだったら・・・』
 http://easter.ne.jp/aoyagijin7/kaihoukyouiku/inoti/inoti-siryou04.htm

 『命の教育』高尾忠男レポート
 http://easter.ne.jp/aoyagijin7/kaihoukyouiku/inoti/inoti-siryou03.htm

 ということで、仁のメルマガ『教育ボランティアネットワークへの誘い』第67号で高尾大先輩の実践を紹介して提案しました。論議を起こして、子どもたちにとって大切な<生きる力>や<学びの心><つながる心><自分が変わる心>などについて考えていきたいと思っています。

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 ところが、12日になって「娘が嫌がっているのでやめてほしい」という保護者の
投書が県教育事務所に届いた。このため町教育委員会は「殺すために学校で鶏を飼育
するのは本末転倒」として口頭で同校に指導、急きょ中止となった。

      西日本新聞 11月14日
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 うちの学校でも実施前の生徒達の抵抗はすごいものがあります。けれどそれを乗り越えていきました。「残酷」を越えるものが教育の内実として創造されていかなければなりません。教育現場ではそういう創造的な営みが行われています。けれど、教育行政は問題の本質を把握できない。

 担任は「2週間ほど前に、改めて父母に対して意見を求めた。反対なら声を出してもらって一緒に考えたかった」と残念がる(朝日新聞)。担任の先生にエールを送りたいですね。
その奪った命を糧として生きていかなきゃならない
{peace-p:0106} SACHIYO (011120)
MATSUDAです。

 私がここ十年以上感じている『ばかげたこと』の象徴的な記事です。
 一粒で二度怒ってますが、ご容赦下さい。

 教育現場の廃退。こどもの表層的な精神的発育に追いすがれない教育現場の問題もありますが、最もばかげていると思うのは、こどもの前で教師や学校に文句をつける親御さんの存在です。
<家庭内での文句も含む。学校に怒鳴り込むなんて論外だ。

 義妹によく言うのですが、こどもの前で教師を否定しないというのは、基本だと思います。親が尊敬していない人物をこどもが尊敬するというのは、とっても難しいことです。私も教師という職業、と言うだけで尊敬しろとは言えませんが、我が子を託す相手くらい、キチンと尊敬し、信頼関係を前提に接することは、こどもの学校教育の場での効率性から考えても当然じゃないかと思います。

 学校という場の能力が落ちたのではなく、PTAの質が低下したために学級崩壊が起こっているのだと思います。こどもがいませんから、あんまり怒っても蚊帳の外ですけど。

 私は水族館に行って、お魚を見ると、おいしそう・・・と思うヘンテコな思考回路なので、牛さんや羊さんを見てもおいしそうと思います。

 狂牛病の報道で流れた映像の中で一番腹が立ったのは、焼却処分されてしまう牛たちの映像でした。
狂牛病なんか全然かまわないから、その牛を私に食べさせてほしい。人間が食べるために産み育てたのに、その命を無駄にするなんて許せないです。

 だいたい、何で中止にするんでしょう。頑張って、話し合って、理解し合えないのかな。こども達のことを本当に考えていないんじゃないのか?

 残酷だという親を連れてこい!!とか思っちゃうぞ。
 <いかん、いかん。ぴーす、ぴーす。

 スーパーに並んでる成形された食肉にしか接してないこどもに、自分のために犠牲になった山ほどの命の尊さに感謝しろと言うのはなかなか難しい要求だと思います。

 解剖(は、対象が文字に出来ないほどキライなせいもあり)は意義を感じませんが、動物を育てて、そしてその命を自分の命の糧にすることで自分の命の重さを考えさせることは、重要な教育ではないでしょうか。

 自分の命の重さがわからない人は、他人の命の重さも尊重できない。多くの命を糧として、今、生きていることを意識していないから鶏を絞めることを残酷という表現でしか捉えられないのではないかと思います。命を奪うことは罪だけれど、残酷だけれど、だからこそ、認識して感謝して、その奪った命を糧として生きていかなきゃならないわけで人間は、とっても自分勝手で、食物連鎖も破壊してダメダメだけど、
その自分本位な行動までも覆い隠してしまうなんて、まったくダメだと思う。

 と殺されるところを目にしたら、かわいそうとか申し訳ないとか、いっぱい思って泣くけど、そのあとはちゃんとおいしく感謝して、いただくぞ。
 だって、それが、せめてもの礼儀だと思うもの。
現実社会と少し離れた生活を
すべての若者たちに体験させてやりたい
{peace-p:0107} ISHIKURO (011121)
 仁様、皆様 石黒です

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 <やりがいとしての適度な利潤追求に留めておくことが出来ない大人が多い
からなのでしょうか。もしそうならば、足るを知る事を教育にしっかり盛
り込んでほしいと思います>

 という石黒さんのご意見がありました。果てしない欲望と果てしない絶望の狭間に
いる子どもたちに大人はどう向き合っていけばいいのでしょうか・・・。
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 これに関しまして私の夢を少し申し上げたいと思います。
 教育現場にだけ期待をしては当然いけないことで、ただ家庭環境といいますのは大変さまざまでどの家庭を基準にしてよいのか難しい問題です。
 私はある年齢になったら外国では兵役義務ですが、日本ですから精神修行義務というのを課したらどうかと考えています。いくら学校ですばらしい教育を受けても家庭環境がそれに伴っていなければ何もなりません。どこか禅修行のように質素を心がけ日々の反省今後大人社会に入っていくための心構え等現実社会と少し離れた生活をすべての若者たちに体験させてやりたい。規則正しい生活・身の回りの管理等もちろん宗教宗派色のないものであることは言うまでもありませんが。そして現実に戻ったとき大人社会の飽食(いろいろな意味で)を自分たちなりに消化し正しい社会のあり方を考えていってほしいと願っています。
                          
 「朝日新聞の記事」ですが、私は雑食ですし、昨日もとんかつでしたので殺生云々については何とも言えないのですが。授業の内容そのものについては別に何の問題もないように思えますが、私はかつて「かえるの解剖の授業」の後給食がのどを通らなくなった記憶があります。今でもあのかえるの白い膨れた腹を思い出すと具合が悪くなります。いろいろな生徒さんもいらっしゃると思いますので、怖い・嫌だ
と思われる方は少し離れてもらう、どうしてもだめなら図書室等で自習してもらう事も考えてあげなければいけないのではないでしょうか。
 以上こまめに掃除もしないのにゴキブリの嫌いな石黒尚美より
大人たちの覆い隠された「自分本位な行動」
{peace-p:0109} 仁 (011121)
 SACHIYO様、皆様、仁です。

 超多忙の中で、日常の中の矛盾あるいは未成熟に、心を留めていただいてありがとうございます。
 子どもたちの中で「いじめ」は相変わらず後を絶たない状況があります。面白おかしく生きていきたい、せめてこのひと時楽しく笑っていきたい。どこかで何かで「気晴らし」がしたい・・・。似たもの同士がグループを作っていきます。別のグループや個人の悪口を言って盛り上がる。教室ではグループのひそひそ話が気になってしょうがない。強いグループは聞こえるようにひそひそ話をして、挑発してくる。あるいは「悪口を言い合ったり」「相手の弱点を暴いて」笑い転げている遊び感覚・・・。嫌だ嫌だと心で叫びながら、それでも、一緒に笑い合っている子どもたち・・・。
 子どもたちは叫んでいます。
 本当の居場所を求めています。

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    現代社会授業通信『なしかね?』URL
    http://isweb28.infoseek.co.jp/school/ao-jin/nasikane.menu.htm
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> その自分本位な行動までも覆い隠してしまうなんて、まったく
> ダメだと思う。

 大人たちの覆い隠された「自分本位な行動」。子どもたちは鋭くそれを見抜いています。そして巧みにそれを真似しています。子どもたちの眼ははっきりとアメリカや日本の「自分本位な行動」を見抜いています。けれど大人たちは誠実にその子どもたちの「眼」を受け止めようとしない。「子どもにはわからないことだ。大人になればこんなもんだってことがわかる」と子どもたちの心を閉じこめてしまいます。そんな
私達大人が「侵略戦争」を作り出しているんでしょう。我が身に降りかからない「侵略戦争」(どんな戦争も)は、嫌だ、嫌だ、でごまかしてしまってきたんですね。だから一端我が身に降りかかると「報復だ、報復だ」と盛り上がる。ブルジョワ市民の「自分本位な行動」パターンです。
 地球上の大部分の人民は、そして子どもたちは、「戦争」を望んでいはしない。
 今日の生活の糧を手に入れることで精一杯なんです。どこからも糧が降ってくるわけではありません。大地の恵みを糧にするほかありません。

 大地の恵みであった鳥や獣が、今では食肉工場の「商品」に化けさせられてしまいました。「商品」のための「ニワトリ」になってしまったんです。「商品」のための牛になってしまったんです。いのちではなく「食肉」になった生き物たち。「商品」として改造されていく「食肉」たち。

 <咎は欲を得るより大なるはなし>

 人間の傲慢さ愚かさを嘆いても致し方ありませんね。自分自身がその恩恵の中で生きていることを否定できないのですから・・・。

 けれど、どこかで、この現実を創り変えていかなければなりません。
 SACHIYOさんの<自己責任>という主体性の問題を自分自身に問い続けていかなければならないと考えています。
 「国家」に対峙する主体性を確立していかなければならないのではないでしょうか。

 それは、日々の暮らしの中で形成され、構築されていくものではないかと考えています。
 以前、「脱構築」という言葉が流行ったように思います。勉強嫌いの仁は思潮の展開がどうなったのか知りませんが、仁流に読み込んでいけば、「根源への回帰」を志向しているように思います。
 「命の教育」は、いのちを食することへの回帰でしょう。

 「国家」や「体制」に屈服することなく、その「矛盾」に対峙し、自らの人間性を保持し続けていく主体性と覚醒が21世紀元年として<未来の子どもたち>から要請されているパラダイムではないかと考えています。

 <足を知るの足は、恒に足>
  
>
> 教育現場の廃退。こどもの表層的な精神的発育に追いすがれない
> 教育現場の問題もありますが、最もばかげていると思うのは、
> こどもの前で教師や学校に文句をつける親御さんの存在です。
> <家庭内での文句も含む。学校に怒鳴り込むなんて論外だ。

 確かにそんな保護者の「行動」には問題があるかもしれません。それはアメリカの「自分本位の行動」に似ているし、過ちも多いことでしょう。けれど、アメリカの「自分本位の行動」に異議申し立てをする人々や糾弾をする人々がいるように、教師はまた「怒鳴り込む」保護者に対して、それを受容し、誠実に教育の内実を保護者に返していく「自己責任」あるいは主体性を持たなければならないと思います。
 修学旅行の夜、女の子を叩いたことがあります。それは仁のパーフォーマンスだったんですが、通じず、キレタその子は帰ると言いだし、家に電話をします。修学旅行が終わって、母親が強面の人を同伴して「怒鳴り込んで」来ました。仁はどうして叩いたのかをあるがまんまに話しました。強面の人は何も言わず納得してくれたようです。母親は悔しそうでしたけれど矛を収めてくれました。
 暴力は過ちですが、仁もたくさんの過ちを侵しています。過ちは指摘されないと気づかないことも多いものですし、怒鳴り込まれないと反省もしないという面だってあります。うちの学校でも暴力で泣き寝入りしている子どもたちがたくさんいます。学校を辞めていった生徒もいます。その子の親も何度も「怒鳴り込んで」来ています。教師も人間です。様々な教師がいます。様々な過ちを侵しています。「おかしい」こ
とは「おかしい」と言う。受ける側もきちんと受け止め、きちんと返していく。過ちがあれば直していく。ごまかしがなければ了解し合えることが多いのではないでしょうか。単純なことですが、度し難い人間、なかなか素直にこれができない。 

> 残酷だという親を連れてこい!!とか思っちゃうぞ。
> <いかん、いかん。ぴーす、ぴーす。

 SACHIYOさん、さわやかですね。けれど、「殺して食べる」という教育をしようとすれば、それだけのスタンスがなければできません。子どもたちと一緒に親、保護者が学んでいく内容なんです。子どもたちと一緒に大人が変わり、教師が変わる。そんな教育内容の創造的営みを「殺して食べる」授業は内蔵しています。教委は子どものことしか考えていない。批判の対象になるようなリスクは回避する。「本末転倒だ」
と教委が指導すれば引っ込んでしまう教員もまたたくさんいます。日本全体事勿れ。教師も又事勿れ。けれどこれをうち破っている教員も少数ながら存在するんです。

> 自分の命の重さがわからない人は、他人の命の重さも尊重できない。

 自分の人権を守れない人は、他人の人権も守れない。
 人権についても事勿れ。「自分本位の行動」ができている方が楽なんです。「自分のことは何とかやっていける」「飽食と快楽も適当に手に入る」「欲しければ援助交際だってできる」そんなプチブル日本人。そんなプチブル教員。そんなプチブル公務員。リストラの嵐もどこ吹く風。矛盾を回避した大人たちの日常・・・。教員たちはそんな「生活」を子どもたちに夢見させて「勉強」させるんです。「勉強」という言葉は中国では「できないことを無理矢理にさせる」という意味らしいですね。
 社会権としての「教育を受ける権利」「労働の権利」が守られていなくても平気な日本人。労働組合の組織率は23パーセントを割っているんでしょうね。日本に民主主義の基本である労働組合がないから「戦争」止められなかったんだとGHQはまず労働組合を作らせました。なのにどうして? 労働組合がないから、また、簡単に「戦争」への道を突っ走るんでしょうか・・・。
 憲法の原点に戻らないと、本当に子どもたちの未来は奪われてしまいます。

 軍需産業大国の戦争戦略に穴を穿つものは「憲法9条」しかないんです。
 憲法9条は「脱構築」の砦です。
 なのに日本は戦争戦略に荷担しはじめました。

 <禍は足を知らざるより大なるはなし>

> と殺されるところを目にしたら、かわいそうとか申し訳ないとか
> いっぱい思って泣くけど、そのあとはちゃんとおいしく感謝して
> いただくぞ。
> だって、それが、せめてもの礼儀だと思うもの。
>
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 『命の教育MENU』
 http://easter.ne.jp/aoyagijin7/kaihoukyouiku/inoti/inotimenu.htm
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 『エンパワーメント』MENU
  http://freezone.kakiko.com/aoyagijin/enpower/enpowermenu.htm 
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