子どもたちに<生きる力>と<希望>を! 
<高校生に自由はあるのか?> 投稿より  01
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子どもたちの<平和の砦>を守る者は誰か?
{constitusion:0020} 仁 (011028)

 皆様、仁です。

 『9条を見殺しにしない』ために、仁の考えていることは、ずっと、子どもたちが心に<平和の砦>を築き、大人になっても持ち続けていく手だてを、教育の中でどう実践していくかということでした。義務制では平和教育と人権教育がよく実践され、子どもたちの心に<平和の砦>はかなり築かれていると思います。けれど、高校になると、もう随分希薄になっていくようです。それどころか、教育の現実がその<平和の砦>を破壊している状況さえあります。

 仁の掲示板に「みやま」さんという高校生の投稿がありました。「みやま」さんの「教師観」がとても気になっています。いわゆる「エリート校」の高校生の意識を代表するものでしょうが、この意識状況を打破する手だてを考えています。「今更」という気もしますが、今だからこそ、高校生が<自由>と<物言う権利>を回復していくときではないかと考えています。
 
 仁は「みやま」さんのこの発信を軸に高校生の声を集めようと考えました。仁の出しているメルマガで声を募集してみました。購読者が少ないので、どれだけの声が集まるかわかりませんが、高校生達は声をあげる場を求めているのではないでしょうか・・・。
 「みやま」さんの発信は後も続きますが、とても聡明な人だと思います。パワーもお持ちの人じゃないかと思います。

 <学校は誰のためにあるのか?>
 <学校の主役は生徒ではないのか?>
 等々・・・。

 現状把握でも、どうあるべきかでも、みやまさんへのメッセージでも、ともかく自由にお考えをお聞かせください。
 
 以下メルマガの転載です。

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  おはようございます、仁です。
 『教育ボランティアネットワーク』第46号をお届けします。

     <仁さん  キレイゴト>
 {性掲示板010} みやま (011021) 

 この掲示板は使い方がよくわかりませんが・・。
 管理人である仁さんはキレイ事ばかりですよね?教育者には多少のキレイ事は必要であるかもしれません。しかし、今求められていることと矛盾しませんか?
 生徒は教育者、つまり教師に信頼を寄せることはまずありません。当たり前です。自分とはことなる人間であることが明確だからです。自分と全く違う考えをもった人。それが教師。どんなに真剣に指導しようともそれは教師という職業のもと、その仕事に生きがいを感じている人間、お金をもらう仕事である以上、信頼を寄せることはまずありせん。うわべだけの信頼なら簡単に寄せられますがね。 私も教師を利用しながら生活しています。自分に評価を下す人間なのです。適当に仲良くして、色目も使って最高評価をもらっています。教師の前ではその教師の好きな自分を作る。適度に悪いところを見せて改正したふりをしてまた最高評価をいただく。教師、生徒間のやりとりこそ援助交際でしょ?私がこの行為を繰り返すことによって教師は喜んでる。自分自身に酔えるから。
 ここまでいって何をいいたいのか。
 仁さんも自分に酔ってるにすぎないのでは?
 教師に求めるのは知識をもらうこと。実際使えるようなね。使えない情報はいらない。キレイ事、教師の理想、夢・・・・それは個人が考えることであって人に強要されることじゃない。教師は事実と自分の思想のない一般的な賛否を語ればいい。どちらが正しいと思うか、新たな考えを求めるかは、個人的なことで、個人が考えればすむことであるはずです。
 私は現代社会が大好きだけれど現社の先生と授業は大嫌い!
 誰も教師の考えを聞きたいなんて思ってない。「教師」という社会から離れて生活している人間の意見は多くの場合において独りよがりなものばかり。マインドコントロールのような授業は要らない。自分の考えを押し付けるような方法は止めていただきたい。
 でなければディスカッションの意味はないでしょう。
 仁さんはキレイ事をはなし、私たちが良く使う愛想をふりまいたような意見には肯定的ですよね?でも自分の意見以外になるとキレイ事振りまいてばかりでディスカッションになりません。 

 『キレイゴト』への投稿より
 http://easter.ne.jp/aoyagijin7/sei/toukou/keijiban005.htm

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         あなたにとって「教師」って何?
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 みやまさんの「批判」というより、みやまさんの存在が仁に衝撃でした。
 高校生の実像を目の当たりに見せつけられたような気がします。生徒と教師の人間的な関係がここまで隔絶しているのでしょうか・・・。

 高校生の皆さんの、率直なご意見をお聞かせ願いたいと思います。
 <あなたにとって「教師」って何?>
 かって高校生であった皆さんに、率直に体験談を語っていただきたいと願っています。
 <あなたにとって「教師」って何だったか?>

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『教育を語るML』              aojin7@freeml.com 
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『教育ボランティアネットワーク7 』グループのアドレス:
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いのちを大切にする発想で
{ip2000project:2251} まめまめお (011028)

 適当な意見ではないかもしれませんが・・・、

 私は、29歳で仕事とは別に中学生の家庭教師をしているものです。
 仁さんのお気持ちは大切だと思うし、「平和の砦」という考えも必要だと思います。ただ、その根本の考えというか、簡単に平和という言葉を使う前に、もっと掘り下げてみる必要があるように感じました。

 私は、宗教的な価値観を取り入れて、命のことを説明する必要があるんだと思います。人は自分一人で生きていくのですが、自分一人で生まれたわけではないし、多くの人との関わりの中で生きざるを得ないんだということがわからないから、そういう挑発的な考えをするんだろうと思います。できれば、もう少
し早い段階で「協調性」について、誰かが教えてあげるべきなんだと思います。みんな考えが違うから、主張し合うのではなく、尊重し合う。それが、命を大切にする発想で、平和につながる訳で・・・。

 私は、「師弟関係」のようなものがある教育現場が好きなのですが、それは民主主義に反するのかもしれません。民主主義の社会が求める教育現場とは差があるということでしょうか?

 参考にならなかったかもしれませんが・・・、失礼しました。
自立の過程の中で・・・
{投稿006} rocobp (011029)

 はじめまして。
 調布市の代といいます。グローバル・ピースのMLを見て、ポストしています。

 20年ちょい前にエリート高校生でした。私も当時は、みやこさんと似たり寄ったりの考えを持っていたと思います。
 でも、今は、案外まともでバランスもまあまあとれた大人になり、二人の子供の母親もこなし、臨床心理士として、公立中学校や民間のクリニックなどでカウンセラーをしています。
 彼女に直接会ったわけではないので、はっきりしたことは言えませんが、私は、彼女は本当は繊細な心をもったよい子なのではないかと感じます。
 もしかすると、小さい頃から、はじめは無意識に「よい子」をやってきて、そんな自分を客観的に見られるように成長して来たら、とても居心地が悪くなって、自己嫌悪に陥ったり、彼女なりに悩んだり苦しんだりした結果、このような考え方をすることで、苦しみから抜け出せたのかもしれません。
 あるいは、誰かを「信頼」して、傷ついた経験もあるのかもしれません。
 または、誰かに「利用」されてしまって、傷ついているかもしれません。
 さらに、既にご存知のこととは思いますが、思春期青年期には、自分が大人として自立していく過程で、それまで依存していた大人(親とか教師)から決別する必要があります。それまでに子供の側からの依存が強すぎたり、大人側からの庇護が強すぎたり、その両方だったりすると、決別には特別大きなエネルギーが必要になります。つまり、大人を悪者にしたり、価値を下げ、貶めたりして見限らないと、離れられないのです。

 彼女がこれから進学し、社会に出て仕事をし、恋もし、結婚もし、子供を産み育て、地域社会で生きていく中で、様々な出会いを通じて、傷ついたり、癒されたり、感動したりして、だんだんと、バランスの回復した、まあまあの大人に成長していくのではないでしょうか。
 そして、何十年か経った時、高校の先生方にも、少しばかりの申し訳なさや、懐かしさや、ささやかな愛着やらを感じるようになるかもしれません。

 ところで、この転載はみやまさんの承諾をおとりになっているのですか?
 その点が気になっています。

 仁コメント:
 転載について、みやまさんの直接の了解はとっておりません。仁の掲示板への書き込みを基に、メルマガ『高校生の性の今』上で交流・交心をしています。そこに掲載して、いくつかの返書も掲載して公開の議論の場を作りあげています。それらに対するみやまさん自身の掲示板への返書もメルマガに返していきます。けれど、みやまさんの提起した問題は深いところでは<性>と<自立>の問題につながりますけれど、教育の問題に関わりますので、仁のもう一つのメルマガ『教育ボランティアネットワーク』で展開し、内容を深めていきたいと考えましたので、掲示板上で簡単なコメントですが、「みやまさんの声を使わせてください」というお願いをしています。
 ご指摘を受けて、もっと丁寧に、みやまさんへ仁の考えを伝えて了解を取るべきだったことに思い至りました。事後了承になりますけれど、みやまさんのご意向をお伺いしたいと思います。
 ご指摘ありがとうございました。
これはだれの罪だろう?
{aojin70014} BabaPapa (011029)

 こんばんは。仁さん。
 BabaPapaです。高校生ではないおじんです。みやまさんの発言に興味を持ちました。

 青柳仁 さんwrote:

>  皆様、仁です。
>
>  仁の掲示板に「みやま」さんという高校生の投稿がありました。「みやま」さんの
> 「教師観」がとても気になっています。いわゆる「エリート校」の高校生の意識を代
> 表するものでしょうが、この意識状況を打破する手だてを考えています。「今更」と
> いう気もしますが、今だからこそ、高校生が<自由>と<物言う権利>を回復してい
> くときではないかと考えています。
>

 青いね、みやまさん。

 みやまさんが教師を拒否する心情が分かるような気がする(分かるとは言わない)。
 私も中学生の頃は徹底的に嫌いな教師がいた。理由は生理的に好かんかったから。ただ、みやまさんのように抽象的な教師一般が嫌いというものではなかった。この教師が嫌い、という具体的なものだった。「教師が嫌い」というのは、おそらく嫌いの原因は教師の側にあると考えるより、生徒であるみやまさんの側にあると考えられるように思うな。

 それに、教師に信頼を寄せないから、「私も教師を利用しながら生活しています」と言っているけれど、ここが若いというか、青いところだと私は思う。うわべの信頼を寄せると言っているけれど、そんなに尊敬できないならはじめから信頼を寄せる風な姑息な手段はとらないで、徹底的に無視するとか反抗するとか、その評価の次元を乗り越えるとか、どんなことをしても後ろ指一本指させないとか、もっと別のやり方があるんじゃないかな?なんだかんだ言いながら、結局教師の評価の土俵で相撲をとって粋がっているだけにしか私には映らない。

 今と評価基準は違うけど、私が生徒だった時は、その嫌いな教師には徹底的に楯突いたけれども、ああだこうだとは絶対言わせないと、その教師の前では成績にせよ行動にせよ、尻尾を捕まれるような、あるいは媚を売るようなことは一切しなかったね。どうだ、これでも言うことあるか、ということを私は貫き通した。

 だいたい、「教師は事実と自分の思想のない一般的な賛否を語ればいい」というのはおかしいね。そんなら、みやまさん、教師から学ぶものは何もないと学校から去ることが一番いいことだ。教師が説明する事実よりももっと詳しいことは巷間の書物等にいっぱい書かれているのだから。教師にはね、その存在をかけた独り善がりをいっぱい語ってもらうことだと私は思っている。それが気に食わなければ、自分で撃破すればいいことだ。そういうぶつかり合いが出来るから教師なんだよ。
 みやまさんが求めている、人を介さなくても得られる知識の集大成なんて与える教師こそ、くその役にも立たないのだと知るべきだと私は思う。
 教師の押し付けが嫌だというのは、実はみやまさんにそれに対抗するものがないからではないのかなと私は思う。

 結局、みやまさんの記述から感じ取れることは、ちょっとは頭がいいかもしれないが、無味乾燥な知識をちょっとだけ持ち合わせているだけで、自分というものを何も持ち合わせいてないひねた哀れな生徒というイメージだね。ただ、学校という空間で「すぐれた生徒」という価値観で培養されたものであることだけは確かなようだ。

 ただ、みやまさんの純粋な思いがこのような奇形の形でしか表出しないものになっているのだと仮定すれば、みやまさんは可愛そうな人だと思う。もしその思いを大切にしたいと思うのであれば、このような教師への向かい方は何一つ有益ではないような気がする。
 なぜ、自分の思いがこういう表出の仕方をするのだろう、自分の何かが違う方向に行ってしまっているのではないかと、自分を見つめ直してみることが必要なのではないかと思う。

 みやまさんの心は笑っていない。いつも青ざめ、引きつり、時には呻吟しているのかもしれない。時には泣いているのかもしれない。みやまさんは、本物の人間や教師に出会わずに、ただ無味乾燥に生きることだけを強いられてきたのかもしれない。心から笑い、喜び、人に共感し、感動することなく生きてきたのかもしれない。
 これはだれの罪だろう?
 教師のうちの一人でもいい、みやまさんの心に響くものを持っている人間がいることを知らしめて欲しい。
 が、それは今の教師に望むのは無理なのだろうか。
 みやまさんが言いたいのは、本当はそういうことかもしれない。

 以上、感じるままに書いて見ました。無礼があればご容赦を。

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