子どもたちに<生きる力>と<希望>を! 
<「障害」者と共に生きる> 01
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現 社                   NO・7
授業通信    なしかね?    00・11・09
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                    『中村久子』のビデオを見て感想文

              <忘れられない>              ーM・N
 感動した。
 うまく言葉や文で書けないけど、とにかくすごい。
 私に手・足がなかったら、絶対に久子さんみたいに強くはなれないと思う。だから、ほんとにすごいし、カッコイイ。
 生き甲斐のある人生とは、まさしく久子さんのような人生なのかもしれない。
 一生懸命自分で考え、生きている姿は、心に残って、これからも忘れられないと思う。
 とにかく、すばらしかった。


         <また、1人、尊敬する人が増えた>        -X・X

 日本にこんな女性がいることを知って、とてもびっくりした。
 私が今尊敬している人は『五体不満足』を書いた武さんである。久子さんも四肢が膝までしかなくて、それでも、口を使って、人形の着物を作ったりしたので、とても驚いた。そして、必ずやり遂げるという思いにとても感動した。
 と同時に、あやの久子さんに対する母の愛情が強く伝わってきた。あやが亡くなった後、久子さんは今までのしつけがすべて自分のためだと知って、どんな苦労にも耐えてきた。私だったら、きっと、一生母のことを恨みつづけていたと思う。自分の醜さを感じた。
 中村久子さんの一生の中で、私が一番心に残っているのは、ヘレンケラーが言った<私より不幸な人。私より偉大な人>という言葉である>。
 久子さんは一度幸せになったと思ったら、又不幸になったりして、私が見るに、人生苦労だけという感じだったけど、きっと久子さんは自分の人生を誇りに思っていると思う。四肢がなく不自由なことを不自由と思っていなかったのかもしれない。
 私も、どんなことがあっても、悔いのないような人生にしたい!!
 そして、みんなに中村久子さんのことを知ってもらいたいと思う。
 また、1人、尊敬する人が増えたような気がする。


          <強く生きられる応援歌>           ーT・A

 久子さんの言葉で、<人生に絶望はない>みたいなことが強く生きられる応援歌になりそうな気がしました。

           <勇気がでてきた>                ーK・Y

 手や足がなくても立派に生きていけることがわかり、勇気がでてきました。
 私はちょっとしたことで落ち込んでしまうけど、久子さんは自分よりつらい立場だったのに、落ち込みもせずにすごいと思った。


          <このままでそんな人生送ってみたい>  ーT・T

 私が思うのはこの一つ。手足が不自由な人は、自由な人と比べて、たくさんの努力をするので、とても充実した人生を送っていると思います。そして、人々の心の中で、ずっと、生き続けてるでしょう。
 もし私にもそういう境遇が訪れたら、そんな人生送れるだろうか・・ ・? でも、このままで、そんな人生送ってみたいです。
 久子さんの場合、生まれてきたときは自由だったのに、途中で不自由になり、びっくりしたと思う。そして何より、両親、特に母親がすごいと思う。ただ甘やかして育てるのは簡単だけど、敢えて厳しく育て、将来一人で生きていけるようにという優しさで育てたということがすごい。ほんとうに。


        <障害があることによって創り出した 人生> ーT・N

 久子さんは、両手両足がないことをずっといやだったけど、母の死により気づいた母の愛、見世物小屋での様々な体験により、両手両足がないことを今の自分を創り出してくれたことだと受け止めることができたと思います。
 中村久子さんが本当に強い人間として生きていけるようになったのは、久子さんがそれまでに頑張って、努力した結晶だと思いました。
 中村久子さんを見ていると、障害があることによって、人間としてのすばらしい部分を創り出してきたんだなぁと思いました。
 障害がある、なし関係なく、その人が自分の人生をどのように生きていくかで、その人自身を創り出していくんだなぁと思いました。
 自分を真正面から見て、受け止める大きな心を持てるように頑張りたいです。

         <やればできる>                 ーX・Z

 このビデオを見て、久子さんの心の強さにとても感動しました。
 だれだって他の人によって生かされている。そう、だれだって。
 私だって、みんなだって、そうです。誰かを怨むのではなく、そのことをプラス思考として考え、自分の力に変えていく。すごいことです。
 あきらめないことを母に教えてもらった。やればできることを母に教えてもらった。しかし、これに気づいた久子さんは本当にすごいと思った。
 このねばり強さ、私も見習います。

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    <私の障害は心の中にある>         ーT・M

 私は聖マリアの体験学習に行ったときにも一度中村久子さんの生き様というか、今日見たようなビデオを見ました。そのときは完全に再現をしてあって、見たときとても感動しました。久子さんは手も足もないのに私なんかよりも、もっといろんなことが、たくさんのことができてすごいと思いました。
 このビデオを見たら、障害を持っている人が「かわいそう」ではなく、障害を持っていることを気にしている人と、障害を持っている人を「かわいそう」と思っている人が『かわいそう』だと思いました。
 手足がないといっても、完全にないわけではなく、少しくらいはある。縫い物が出来ないのは手がないからではなく、努力が足らないから。努力さえすれば、その気になりさえすれば、できないことはなく、本当に努力した人が強く、優しく、そして偉大な人になる。苦労を知らない人はどんなにフリをしていても偉大にはなれないと思う。
 手を持たない人は努力する。人並みになろうとするから。足を持たない人はがんばれる。努力することを知っているから。障害を持っていても幸せになれる。幸せは平等だと思うから。不幸な人ほど幸せになれる。苦労を知っているから。幸せをつかもうとするから。
 私は幸せになりたいけれど、不幸を知らない。苦労を知らない。努力をしていない。だから、幸せになるために、努力をしたいと思った。

       <誰もが障害を持っている >

だれもが障害を持っている

一般的に障害者と言われる人たちは
たまたま身体に現れていて目に見えているだけだと思う
平等だという世界で、その人だけが特別ということがあるはずがない。
だれかが障害を持っているなら、
みんなも何か障害を持っているんじゃないかな。
ただ目に見えないだけで・・・。
ただ気がついていないだけで・・・。
たとえば心の中に。
たとえば言葉の中に。
その障害をどうやって克服していくか。
どう解決していくか。
どう努力をするのか。
だれもが同じように持っているのだから。
自分だけだとは思ってはいけない。自分がかわいそうになるだけだから。
だれもが障害を持っているから。

 私は苦労を知っている人になりたい。不幸を知っている人になりたい。
努力できる人になりたい。大切なことを見失わない人になりたい。人の痛みがわかる人になりたい。やさしさを持つ人になりたい。
 私の障害は心の中にあります。障害ではないかもしれないけれど・・ ・。私はたくさん悩んでいます。いろいろなことを言葉でうまく表現できず、自分のことがわかりません。自分を好きだと言える人になりたい。自分のことを好きではない人は、人を好きになるのも、好きになってもらうのも、無理だと思うから。
 心のきれいな人になりたい。自分を好きになりたい。
 久子さんのように、なにごともあきらめず、強く、やさしく、きびし く、温かな人になりたいと強く思いました。
 本当に感動しました。
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 中村久子さんとの<出会い>があったようです。
 忘れない 出会い、になればいいですね。
 <出会い>は<学ぶ>ことです。<学ぶ>は<自分が変わる>ことです。
 中村久子さんと同じ力をあなたも持っています。
 その同じ力を引き出すのはあなた自身です。
 我は昨日の我ならず。自分を好きになって、新しい自分を実現しましょう。
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